2015年4月28日火曜日

藤井千秋展

安曇野・豊科近代美術館にて4月25日より6月7日まで叙情画のおとぎの国の展覧会が開催される運びとなった。





家内、美都子にとって、「女学生の友」の世界で叙情画に憧れた15才の頃に、藤井千秋に出会う機会が生まれ、それ以来、先生が亡くなった後、何とか膨大な資料が大切に保管されており、隠れたファンも居るだろうと、高野口の真理子さんと二人で、展覧会の働きかけを京都の美術館、新聞社、百貨店と何度も企画を持ち込んだが、営利の一環に寄与出来ないという時代背景があり、夢は儚なかった時代が続いていた。

最初にまとまって、展示して戴く機会が訪れたのは、2001年、14年前の4月に東京文京区の弥生美術館で展覧会を開催して貰ったことは、望外な喜びであった。

それから、忘れられた様な時間が流れ、一昨年、やっと京都マンガ博物館で、一部の作品が久しぶりに他の作家と一緒に展示された。それぐらいであったのだ。
藤井千秋、姪の樹里さん、お母様の本格的なご尽力があり、やっと動き出した流れが生まれて来たのである。
本当に簡単なものではない、努力がなされたのである。

その展示が一つの切っ掛けともなり、昨年、9月にやっと本格的な展覧会が京都ではなかったが、愛知県刈谷市の刈谷美術館で幾つものブースを使って、時代毎に展示して貰う理想に近い展覧会をして戴いたのである。

その刈谷美術館に一万人の来館者があったらしいし、今回そのご縁で、松本安曇野・豊科近代美術館で刈谷に負けない立派な展覧会を開催して貰えるようになったのである。

長い道のりの末に、諦めなければ、日の目も見られる或る日が来てくれるものである。

この豊科での藤井千秋展覧会が、どのような波紋となって、対岸に届いてくれるのかも楽しみでもある。
次にどこかの地方であっても、喜んで美都子に付き合って遠出のドライブ旅行を計画したい。



ドライブ旅行に行った時は、その記念に必ず、気に入りの物に出合いがあれば、求めたいものを手にいれて来た。
今回、豊科美術館で販売していた、安曇野ガラスの一輪生けなのであろうが、私は、透明のガラスを選び、これは冷酒を入れる酒器に使おうとイメージした。
2500円で買物だった。

ドット模様のシルクウールの大判のスカーフ。松本のパルコで亜都香がアルバイトしていたTシャツとスカーフのショップに一緒に行った時に、この小紋柄に見えたインクブルーのスカーフが、目に止まり、値段も聴かずに購入決定。
ちょっと高かった、7000円である。残るし思い出にもなるし、何にでも合わせられるスカーフになるだろう。

2015年4月26日日曜日

予定計画を無事終えて

4月24日 金曜日
午前10時前に、野山下山。
栗東より名神に入る。
途中、多賀インターでトイレタイム、車に乗ると余計トイレが近くなる。
中央高速に入り、恵那峡のサービスエリアで昼食に。

前々回、母と三人で松本へ向かう時に、立ち寄り、五平餅を立ち食いした思い出のあるサービスエリア。

快晴であるが空気は冷んやりして快適な気候。
温かい蕎麦と冷たい蕎麦。

午後2時30分、早々に松本到着。松本ホテル花月。
3時のチェックイン・タイムであるので、ロビーで待たせて貰う。
明治中期創業の草分け的なホテル。
松本民芸家具を生んだ池田三四郎の意匠が残る。





室は本館7階の角部屋を崇之(たかゆき)くんが予約しておいてくれた。


松本城が窓から見える。
崇之くんと出会うまで時間があるので、町歩きにぶらりと・・・リサイジングしてもらい、短くスポーティーに羽織れるコットンギャバジンのステンカラーコート。
風が冷たく肌寒いのである。
松本城を形どった、古本屋の佇まい。
松本丸の内ホテルに隣接する、レトロな風情あるビル。
「映画:白夜行」で撮影に使われた建物。

アルモニービアンにて、ケーキセットをオーダー。



悠々の時間を味わえるこの機会は落ち着くものである。
亜都香からホテルの前に着いたと連絡が入る。
ホテルへ急いで戻る。
松本市内の中心部。立派なガス灯。レトロで飽きない。
松本は明治大正の木造モルタル造りの建物が随所に残る。
基本的に、和洋折中の建物が一番好きか・・・

蛙(かわず)ガマ通り。
 四柱神社へお参り。




 馬刺しは熊本で食べて以来。癖のない生肉。





 崇之くんには、イッパイ注文してくれてすっかりご馳走になる。楽しい時間を作って貰えた。
又、来年、家族全員が揃う様な旅行を計画すると言って貰えた、是非その日を心待ちにしたい。
 9時半頃、ホテルへ戻ると観光バスが3台。外国旅行客の宿泊。日本中、外国旅行者で溢れている現状。

4月25日 土曜日 快晴
結構酔いも回り、大浴場に行っても温泉でもないし、団体客が大勢ではゆっくり入れない、スエットに着替えて風呂にも入らず、直ぐに眠りに入った。
目覚めたのは、午前6時過ぎ、疲労感もなし。
 和食の朝ごはん。フィリピン人も和食朝食を食べていた。
 信州そばを鉄鍋のだし汁にざる籠ごと湯がくのである。
 朝から品数豊富で、食べ過ぎとなった朝食。
 午前9時にチェックアウト。支払いは既に崇之くんが払ってくれており、ご厚意に甘える。
外国の観光客は、西洋人で静かだった。
中国人なら、こうは行儀は良くないし、五月蝿かったに違いない。ラッキーだったのだ!

亜都香を迎えに蟻ケ崎の高台へ9時半に・・・三年ぶりである、変わらない景色。
安曇野 豊科近代美術館。
広大な敷地に常設彫刻の美術館
薔薇咲く季節は圧巻のバラ園となる周囲。



午前10時30分 藤井千秋展開催のオープニング・セレモニー。安曇野市、市政10周年記念行事に藤井千秋抒情画展が選ばれたのである。記念すべきものである。
藤井千秋遺族代表で樹里ちゃんが市政員と一緒にテープカットの儀式。

友人と一緒に、開催中ゆっくりじっくり再鑑賞の予定。


八つ程の室にそれぞれの年代の作品を分類し、樹里ちゃんが叔父の人となり、作品のエピソードを紹介にながら、各室を回る。より作品の趣旨が理解出来た。
水彩画のやさしいペン使いと色のグラデーションは、保存状態も最高なので、よりインパクトのある原画。
 最後に、樹里ちゃんが家内を呼び、一言話して貰う様に、振られた。ファンであり、亡くなる間際まで、可愛がってもらったエピソードを急にも関わらず、話しをまとめ、この開催にあたり、安曇野関係者の努力とお礼を述べて、より多くの方々に藤井千秋の抒情を味わって頂きたいと希望を述べていた。さすが家内だと感心した。

 藤井千秋、直ぐ下の弟さんの奥様、樹里ちゃん、娘さん。

午後1時、松本へ戻り、イオンモール駐車スペースで開催のラーメン天国。
 亜都香のアルバイト先の一つ。明日から頼み込まれて、手伝いに入る予定。
昼食代わりにラーメン各種を取り分け、満足して、松本の中央へ。パルコ、コーヒータイム、井上百貨店と回り、崇之くんにお別れの挨拶をして、亜都香を蟻ケ崎の自宅へ送り届ける。
 午後4時半。帰途に向かう。無理をしない運転にて、長野道から中央道、名神経由で栗東、琵琶湖大橋、野山のルート。伊那のサービスエリアでお土産を求め、駒ヶ岳サービスエリアでトイレタイム。


次に立ち寄る養老サービスエリアへ向かう道中、給油メーターがオレンジに点灯。給油を促すが、養老までは距離もあり、近くのパーキングエリアが出て来たので入り、トランクルームに緊急予備タンク、10リットル缶のハイオクガゾリンを給油。ガス欠で冷や冷やしながら走行する心配なし。
10リットルあれば、次の給油所まで安心出来る。

養老インターで夕食。カレーライスが食べたくなった。
明日のパン、飛騨牛乳、目新しいお土産。
この買い物は楽しいと家内はわくわくしている。

午後8時、養老で給油。上り下りの道中、運の悪い奴は、根性のもっと悪い覆面パトカーに五回ほど、停められているのを見た。中央道は昔から根性悪がウヨウヨしている。
日暮れて、これからの時間は仕事するのも嫌なのか、ほとんど取締りはない。自重したがアクセルを踏み込みながら、野山へ帰り着いたのは、午後10時。
ゴンの喜びようは、どうしたら嬉しさを表現出来るのかと気も触れんばかりの激しい動きで喜んだ。
こうして、我々を待ってくれている畜生の可愛さ、特別に癒される。往復700キロ少々なら、疲労感もなし。
とても充実した二日間を与えて貰った。
幸せなことである。