午前4時起床。
午前4時40分、トランクに旅行鞄を収納して、
ライトを点して下山開始。
湖西道路から山科、五条、長岡京経由、国道171号線で西へ向かう。夜明け前なのに車、トラックの多さに呆れた。
神戸、明石まで空いている道路事情では無かった。
国道2号線、姫路、赤穂、備前、岡山の近くで渋滞。
山陽道に入り、少々、スピードを上げる。
尾道を通過して三原で下りる。
午後12時半頃、三原の道の駅に到着。
蛸の天ぷらどんぶりと魚の切り身のおつゆ。
雨が降り出して散々な一日が始まった。
尾道へ戻り、坂道の散策の予定で、千光寺公園へケーブルカーで登る予定をしていたが、ガスった雨降りは展望など望むことも出来ない一日。
車で細い山道を千光寺へ向かったが、降りて見るべきものもなし。早々にホテルへ向かう。
午後3時のチェックインの予定が午後2時にロイヤルホテルへ。早かったがOK。午後4時に傘持参で、商店街の散策に切換え。歯抜けになった店舗も多数。どこの街も不景気だ。
尾道の帆布は有名。
手触りが柔らかく、手帳を収納するためのポシェットを購入。二つで1500円ほどで安上がり。
向かいの歴史ある陶器屋で備前焼の大振りの湯のみを購入、マグカップ代わりに味のある器を見つけた。
本日のコーヒータイム。私はブレンド、家内はココア。
ほっとひと時を楽しむ、外は激しい雨、アーケードは雨漏りだらけのひなびた商店街。
築100年の米屋の建物を利用した「かき左右衛門」へ
夕方5時半の開店に少し前で待って一番乗り。
説明を追加 |
明太ポテトチーズ焼き
生牡蠣、やき牡蠣、牡蠣のフライ。
新鮮さに感激もの。良い店が近くにあった。
最後に仕上げに、生牡蠣のトマトチリソースレモン掛け。
絶妙の一品で大満足。
歩いて20歩で尾道ロイヤルホテル。
午後8時前にはパジャマに着替え、あっと眠り、11時頃に時計を確認して、次に目を覚ました、午前5時前であり、睡眠は十分取れたし、疲労感もなし。
3月14日木曜日
雨も上がり、晴れた一日になりそうである。
7時過ぎに朝食。
午前8時前にチェックアウト。こんなに早い旅立ちは初めて。江田島を目指す。
三原、竹原、音戸へ向けて。
瀬戸内海の穏やかな海の眺め。海岸線を延々と走る。
江田島(えたじま)古鷹山標高400メートル弱、
海軍兵学校敷地を眺める
午後1時の見学に間に合う様に、午前11時に到着?
門番詰所にて氏名住所を記入、入館時間を記入。
二時間、見学者控え室で待機。
海軍グッズ類販売所で兵学校カレーを土産に。
海上自衛隊の展示物を二階で展開。
お昼は食堂にて、カツカレーとサラダを食べる。
午後1時より約1時間半の見学。勝手に見て回ることは出来ない。大講堂、生徒館を外から眺め、教育参考館を見て1時間半はすぐに終わった。
6年前に来館時は教育参考館は改装中にて、見学出来なかったのである。今回、楽しみにしていたエンタシス様式の重厚な御影石の建物が奇麗だった。
海軍の軍神、東郷平八郎、イギリス・ネルソン提督、山本五十六の遺髪は祀られ、戦前は土足厳禁で脱帽入館の聖地であった。今回も、身だしなみを整え、一礼し脱帽して入館した。
大講堂 入校式 卒業式のみ利用される
照明は自然光 声は隅々まで響き渡り、猛暑の真夏も室温17度でエアコンの設備もなし 大正時代の日本人による建築
戦後、進駐軍は礼拝堂に利用していた。
3月20日の幹部候補生卒業式の準備がされていた。
海軍兵学校生徒の寄宿舎であった生徒館
立ち入ることは出来ない。映画で何度も見ている長い廊下
明治26年より1万人もの生徒が旅立った場所。
教育参考館
10年前に兵学校へ到着出来たが、午後3時を回っており、見学は拒否された。
6年前に念願の兵学校見学、しかし教育参考館は改修中にて願い叶わず。
今回三度目の兵学校見学、見られる場所は限定され、時間も限られているし、今後、その体制も変わることもない。
自由に見てみたい場所もあるが難しい。
四度目の江田島海軍兵学校へ行くことはもうないだろう。
小用フェリー乗場
呉行きフェリーが出た後で45分ほど次を待った。
ニュースで知ったのであるが、このフェリー乗り場の近くにある水産加工会社(牡蠣の養殖加工工場)中国人の研修生が経営者従業員を襲い殺人傷害を起こしたのは、一時間後であったとは・・・・
20分で呉へ到着。高田帽子店へ立寄る。
バッジ・エンブレム・金ボタンを求める。
この店で通販で帽子を購入している。
呉から尾道へ向かう。4時半の出発であったが、尾道の散策は、暗くなるから叶わないだろう。
「かき左右衛門」の店の三軒隣に石窯ピッザを焼く店があったので、夕食をその店でという事のみで、尾道に立寄るルートで走るが、渋滞も起こり、午後7時になって到着したのに、臨時休業しているというご縁の無さにがっかり。
倉敷の手前のファミリーレストランで夕食。
山陽道に入るが結構なトラックの流れ、そこそこ走ったが野山に到着したのは午前0時を指していた。
事故もなく無事に帰れたことに感謝である。
今後如何に、目的地に早く到着出来るか、時間の有効利用を模索したい。呉までの往復走行距離は900キロ近くなった。
0 件のコメント:
コメントを投稿