2011年11月30日水曜日

11月の母の想い出


京都を離れ、蓬莱山の山麓、野山で生活を始めたのも、この米寿の祝い
の後、京大病院で検査結果、胸部大動脈瘤が見つかり、何時破裂しても
という時限爆弾を抱えながら、ストレスなく養生する場として、この地で
母と一緒に生活を始めた。
風邪で寝込むこともなく、散歩、トイレ、風呂と自分一人で自分の事が出来て、
二年七カ月の間、本当に元気に過ごす事が出来たことは、
幸せで感謝したい気持ちである。


11月20日(日)、夕食も美味しく戴き、一時間後、トイレから出た時に、
胸が痛いとうずくまり、身の置き所がなくなる容態、初めて見る症状が出た。
京大病院へ連絡し、救急診療所へ車に乗せて向かう。
一時間かかる間、苦しむ事もなく、駐車場から150Mの距離も、自分の足で
歩き、CT検査、恐れた大動脈瘤の破裂が確認された。
主治医も連絡を受け、午後10時半に駆けつけてくれ、今後72時間以内に、
血圧低下が訪れ、戻ることは適わないと宣告される。


ICUに母を収容、翌日個室を見つけるから、最後に見舞いに来られる方々に
連絡して貰うように告げられる。
連絡を入れた方々は、全員見舞いに来てくれ、母も精一杯、笑顔で対面した。


21日、午後9時30分、一人残った、88歳の妹とも明日も見舞うと別れ、
その後、痛みが襲う。
22日、午前2時44分、痛みが去り、静かに息を引きとる。
胸の痛みが突然襲い、30時間後にこの世を去った。
この旅立ちは、本当に立派だったと思う。
満90歳の誕生日を祝い、10日後の出来事だった。


我々夫婦と母の三人の山暮らし、誇らしい想い出であった。
ただ、二年後に出雲大社ご遷宮にお参り出来なかったことは残念である。



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