2016年2月22日月曜日

週末の出来事

陽光の照りが少ないと肌寒い日々が続く。
土曜日は降り出しそうであったので、早朝降る前にフィールド・ウォーキング。
早朝は冷え込み、足先、手袋をしている指先まで固まる様に冷たく痛いぐらいであった。薬師砂防へ登り切る頃は、汗も噴いて血液が全身に回る。
そこそこ体をいじめて、過剰にならない運動になっている。
今週は、ゴンも足並みを揃えて、前後しながらウォーキング。
戻って来たら、ゆうパックが届く。雨も降り出して来る。
 嬉しいことに池田 家より例年送って頂いている生牡蠣が届いた。予想外だったが、早速その日に頂くことに・・・・
 軍手と牡蠣ナイフも入っていたので、牡蠣の角を家内がはさみでカット、私がプロ並みの手際で殻外し。
年末に殻外しをしているので、馴れたものである。

 レモン汁を絞り、新鮮な牡蠣を堪能。コチジャンの辛いのを乗せても美味。旨い。白ワインを一緒に頂く。


 購入したmono マガジン雑誌。コーヒー特集を組んでいたので手に取った。コーヒーを点てるのに、いろいろな器具、道具類は好きな者にとって堪らない魅力。

コーヒーを点てる手間の掛かる儀式も、案外楽しみになる。
アンティークこの上ない、真鍮のドリップ・スタンドはある様で見かけなかった衝撃。
 一気に欲しくなって、ネットで調べると、売り切れ。
残念と読み返すと再入荷の予約受付。
勿論、拒否する理由はなし。
持っているドリップ器具、ポットの大きさもアジャストしそうで、利用価値は大きい。届いたら嬉しい気分になろう。

2月21日日曜日。
近江分祠より知らせがあり、二月の御霊祭りの案内。
実は私には生後10ヶ月で亡くなった兄がいたのである。
両親は敗戦で中国からの引き揚げ者で、終戦の年に生まれ、日本へ引き揚げる米軍の上陸用船艇の中で、はしかが蔓延。
船艇で死ぬ赤ん坊は水葬にされて、玄海の海に流されたらしい。兄は丹後に戻り十日後、二月九日の寒い日に亡くなったとの事。
それから70年の歳月、70年祭の案内であった。
午前10時からの祭事。ここで又、奇遇な事が起こった。
父の兄、神戸で時計店を商っていた伯父の50年祭で、末娘の明美ちゃんが近江分祠にお参りに来たことで、疎遠だったご縁が今週二度目の奇遇を与えられたのである。

50年前、19歳の私は、危篤の伯父を神戸に見舞い、意識の無かった伯父に医師の指示で、私の採血をそのまま伯父に輸血して、束の間の血色と、意識が戻って、枕元を囲む中に、私を見つけて、手を握り、弱々しく「頼む、頼む」と言われた言葉はこの50年間残ってた。
しかし、連絡も取れなくなった、残った子供達。
長女は中学生、長男は小学生、妹の明美ちゃんは幼稚園児であった。それからの50年は阪神淡路大震災、様々な辛惨を舐めて今日に至った幼稚園児だった明美ちゃん。
ご縁が復活したことは、私たちの使命も残っているという事なのかも知れない。
不思議としか言えない出会いがシナリオされていた週末だった。

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