2011年1月5日水曜日

ネットで取寄せ

神戸三宮界隈
神戸で伯父が住んで時計屋を営んでいた関係で、小学校に入る前から、神戸は馴染みの街であった。
伯父が亡くなり、家も引っ越してその家族は街を離れたが、私には、幼少時代の思いでの一杯詰まった、大切な場所であった。
その後も、正月明けは必ず、神戸へ出向き、街を散策するというパターンは例年の恒例行事になっていた。
阪神大震災が起こり、私の脳裏に焼き付いた街並、そこに息づいた神戸の独特な雰囲気は、崩れ去った、その後、何度か忘れ物を探すように、神戸へ出向いたものであるが、残念なことに、私の求める神戸は存在しなくなっていた。寂しいがもう元には還らないのだ。
中華街南京町で食べた、各店の「豚まん」、太平閣の豚まんが一番口にあっている味。
昨年も今年も、行けないので、神戸太平閣の「豚まん」を取り寄せることにした。



2011年1月3日月曜日

正月二日の参集



無事に参集、賑やかな二日の夜
二台の車は何とか残雪にハンドルを取られながらも上がって来たが、
一柳くんの車は、湖西道路陸橋の残雪でスタック、蓬莱駅の駐車スペースに
置いて、池田くんの車で、野山に到着。
しゃぶしゃぶ、かにすき、お煮染め、ビール、ワイン、たっぷり喋って、食べて・・・
食後は、ケーキ、アイスクリーム、コーヒー
その後は、「ウノ」カードで、提供する賞金を賭けて、白熱、毎年正月の楽しみ。





2011年1月1日土曜日

年賀状

 年賀状が配達された、京都に届くはずのものが、転送手続きを取っておいたので、この野山へ配達される。歩いて配達に来たものか、雪面をずっと歩いて残る足跡


配達員も大変な労力だろう、ありがたいことである、わざわざ、この井上一軒の為に。
年賀状を出していない人から届いたので、直ぐに返書の年賀状をお互いに書き、軽トラで蓬莱駅まで下ることにする。
車が上がって来れなかった郵便配達の車、足跡はかなり下から歩いて来てくれたのだ。
轍のついていない雪面、雪を被ったヒノキの若木が道を塞ぐように垂れこめ、上も下もラッセルしながら、下山。村の道の方が硬雪に締まり、返ってハンドルを取られ、田んぼに落ちない様に、何度も逆ハンを切ることになる。
轍が出来て、そこから溶け始め、容易に車も上り易くなるのも時間の問題だろう。
今晩、雪さえ降らなかったら、明日、来山する子供たち夫婦の車も、上がって来られるだろう。仮に駄目でも、中学の前までなら、雪も溶けているので、車を停めて、軽トラで迎えに行き、荷台に全員乗せて、野山まで上がって来ることも、最終手段としておく。
しゃぶしゃぶ用の肉は、明日午前中に、堅田のイズミヤまで、軽トラで買い出しである。
荷台に山盛りの雪は、搔き落とす必要あり。
午後3時を回り、穏やかな下界の風景、太陽はどこへ行ったものか、薄晴れの空には見当たらない。雪に閉じ込められたような世界に、我々三人だけが、生きづいているし、穏やかな正月を迎えている。

元旦



2010年12月30日木曜日

残り二日

12月最後の月に、やっぱりニュースに取り上げられている「ペニーオークション」正にこのオークションに足を取られたのである、残っていたコインも結局、失い、騙された気分のみが残った。
スケベ心が損を見た。
あのサイトは変である、確かに一部の人間が得をすることはあるだろうが、その一人以外は、パチンコで大損をするぐらい没収される。二度とこんなサイトには行かない、良い勉強をさせられた。
「iPad」が欲しくてチャレンジしたが、三月、春になれば、正規に購入することにした。
これは間違いなく手に入る。
阿呆みたいなことであった。




時雨ぽい曇天、時々、時雨が雪に変わっているみたいで、フライのような白いものが舞っている。正月を迎えるに当たって、整理整頓掃除、決まったことが残されている。
もう終わって行くのだ。

2010年12月27日月曜日

年賀状、ポスト投函

25日に年賀状のデザインを決めて、その日の内に200枚プリントアウト。
仕事リタイヤしてから、年賀状の枚数もぐっと減ったし楽である。
宛名書きは印刷に頼らず、手書きにて掛かる。
明日、千本へ戻るからその際、ポストに投函と決めていたが、4時頃に一応宛名書きも完了したので、軽トラ出して、駅前のポストへ投函に往復。
年賀状投函すると毎年、年の瀬を意識するし、何となく肩の荷から開放され、気持ちが楽になる。
残りの日数、明日、くらま渡辺の昆布の佃煮、奥さんの歯医者、午後は墓掃除と正月飾り。明後日には、最後の食材買い出しで締めになる。